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肉体の悪魔

懸賞 2008年 08月 06日 懸賞

コレットの作品をいろいろ読んでいるうちに、以前読んでまったく面白くないと思ったラディゲの
「肉体の悪魔」を見直してみたくなりました。
コレットの生まれたのは1873年、ラディゲは1903年(年の差30歳か。)
ちょうどレアとシェリの年齢差くらいかな、
「肉体の悪魔」は1923年、コレットの「シェリ」「シェリの最後」が書かれたのは1920年、1926年、(ちなみにヘッセの「デミアン」が1919年。(第一次大戦が1914-1918年。)
だいたい同時代の作品なんですね、私の気に入ってる小説類。

「肉体の悪魔」を読み終えてあらため、このような少年というか青年と恋愛してうっかり死んだりするマルトというヒロインは女性として、ほんとに不幸だなと思いました。
主人公の男の子の気持ちの動きというのが、事細かに描かれていて、その細かさ、まさにチェスのこまを一つずつ動かしていく手順のごとく、何か一つ一つの行動にも理由付けがあるような
いったいこの主人公にとって女を愛するということが何なのか、という疑問がわいてくるのですね。(まあ、ようするにすごい冷徹な印象の少年ということかな)

もちろん少年も怜悧なばかりではなく、うろたえたり泣いたり、感情丸出しになる場合もあるわけですが、なんというか、愛する女性のための自己犠牲というようなものは、まったく感じられず
ただ恋愛アフェアという筋書きを維持するためにマルトという女を持っているような感じがするのです。こういう身勝手な愛のようなもの、をここまで忠実に描いているというところに、やはりラディゲの天才ぶりというのがあるのでしょう。

普通だったらなにか感動的な部分、この主人公もなかなかいい奴だ、と思わせてしまうような部分をつけ加えたくなるかもしれないところを、この少年は女にとってはまったく害としかいえないような人物ぶりが首尾一貫しているところが面白いといえば、面白いです。
同じ女性の立場から、マルトの気持ちを想像してみても、いったいどうしてマルトがこの少年にここまで振り回されてしまったのか、こちらもホントに愛しているというほどの愛ではなかったのではないか、と疑ってしまうのです。

マルトは恋愛を経過しないで、夫になる軍人さんと婚約していたわけで、もともと彼と趣味があうわけでもなく、時代の雰囲気からして単にお年頃ということで結婚する段取りになっていたのでしょう。そこに主人公の少年、読書の趣味などで話の合いそうな彼が出現したわけで。
婚約者は優しく丁寧に彼女を扱っていたのにたいし(まあ、ほんとに愛していたのでしょう)一方の主人公少年は子供ならではの暴君ぶりでマルトを支配しようとし、マルトは自分をいつくしんでくれる人よりも、支配しようとする主人公を愛していると思ってしまったわけです。

こういう女性の心理というのは、ありそうなことですね。

コレットの作品のシェリが第一次大戦後に殺伐としてしまった人々の間で一人、ベルエポックの幻影を抱いたまま苦しむのに対して、ラディゲの「肉体の悪魔」の主人公は殺伐とした時代の先端をいく青年といえるのかな。シェリは「シェリの最後」で、レアの若く美しかった頃の写真にかこまれて自殺してしまうけど、ラディゲの青年は大戦後の世界をそこそこ無感動になんとなく生き延びていけそうな気がします。

ちなみにこの主人公は推定1902年生まれ、シェリは推定1890年代の終わり頃生まれかな、
シェリという人物もレアに比べると十分ドライでちゃっかりしたイメージのナルシスト青年ですが、ラディゲの年代の青年に比べるとやはりかなりいじらしく、感傷的なので、私はシェリのほうが大好きです。



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コレットとラディゲは同時代のパリに存在していたわけですが、知り合いになるということはまったくなかったのだろうか?と気になるところです
ラディゲは1923年、20歳で死んでしまいました。この時,コレットは50歳ですでに超有名人であったわけで、同じ環境にいながらもすれちがうこともなかったのかな。

もしコレットのような女性が若きラディゲにであっていたら、彼の精神がもう一皮むけて花開くような出会いになったんじゃないか、と想像してしまいます。

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ところで「肉体の悪魔」の中でとても印象的な場面、エピソードがあります。
それは主人公の子供時代にすんでいた町の市会議員の屋根にその家のお手伝いが頭がおかしくなって昇ってしまい、警官や野次馬が集まって大騒ぎになったあげく、最後には屋根から飛び降りて死んでしまう、というエピソードです。

このエピソードのつづられている部分の最後の一文。
「ボクがこんな話を長々としたのは、他の何よりもこの出来事が戦争という奇妙な時期のことをよく理解させてくれるからだ、同時にこの出来事は、ボクが見た目の面白さより、ものごとの発する詩情のほうにどれほど魅了されていたかも示している。」

とても共感できる見解です。(このエピソードは事実ラディゲの子供時代におきたことらしいです)
「肉体の悪魔」には同じような挿話として、ブランコで遊んでいた恋人達の女性のほうが、大きく揺らしすぎたブランコから転落して死ぬ、というエピソードがあります。

両方とも、悲しい事件であり事実でありながらも、なぜか人を一瞬魅了するような妙な美しさを含んでいる点で共通するエピソードといえるでしょう、このとき感じる美しさというのは、道徳性とか悲しみとかの価値をこえて、たとえば一枚の絵や詩を見たとき、直接心に訴えてくるようなものといえるのではないでしょうか。
(こういうものは誰の人生にもあると思いますが)

by mimitan52 | 2008-08-06 17:23 | 読書関係

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