mixiやってます

懸賞 2009年 08月 28日 懸賞

長らく放置してました、このブログ。
最近はmixiで日記を書いています。
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# by mimitan52 | 2009-08-28 09:41 | なんとなく

買っちゃいました

懸賞 2008年 08月 20日 懸賞

ちょっと前に見かけて欲しいな~と思っていたジルスチュアートの手鏡をとうとう!買ってしまいました。キラキラ~です。とても満足。
いつも鏡をいれているピンクのカバーがちょうどいい大きさなので、これからはお出かけのお供はこの手鏡で!
大きさがちょうど顔が全部映るくらいで、実用性もある上に、このデザイン、ほんとステキです。
ジルスチュアートはコスメのパッケージもいいのですよね、アイシャドーとかとてもかわいいです。
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# by mimitan52 | 2008-08-20 17:37 | 日記

猫が好きすぎる

懸賞 2008年 08月 19日 懸賞

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最近お風呂にはいったばかりのミミタンです、
真っ白な猫さんが白いブランケットにくるまって、洗剤のコマーシャルって感じ。
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# by mimitan52 | 2008-08-19 07:31 | なんとなく

レア、女らしい人。

懸賞 2008年 08月 15日 懸賞

「シェリ」を読んでいて、女性たちの女らしいおしゃれについての考えを知るのも一つの楽しみなのです。レアは長年ギャラントリーの世界に生きてきた、粋な美人ですから、当然一般の女性よりも自己評価が客観的できびしいのでしょう、なにより自分が商品であるという女性なのですからね。
特に色彩について、似合うかどうか、レアの目はホント、的確というか、きびしいのでした。
「今じゃ顔の近くには白い布をもってこなくちゃならないし、下着や部屋着は淡いばら色でなければダメ。」
エドメの母マリ・ロールを評して
「しわ一つ無いわ、あんな甘ったるいモーヴ(薄紫色)が着られるんですもの、あの薄汚い色はあたし大嫌い、もっとも色のほうも私を嫌いみたいだけど」
といっています。
レアは散歩に行こうとして、「頑丈な靴底のついた黄色いアンクルブーツと山や森をうろつくのにふさわしい無粋なコスチュームを」着たりもしますが、家を出てすぐに、ひょっとしたら別れたシェリに出くわすのではないか、という予感から引き返して「桃の花の色をしたティーガウン」に着替えたりします。好きな人の前では最高の状態でいたいと思う女心が衣装へのこだわりから伝わってきて、レアはほんとに可愛い人だな~と思わせるのですよね。
「こんな郵便配達みたいな靴をはいて、ごっついジャケットで着膨れしたところを見られるなんて、どうせ会わなくちゃならないんなら、ほかの格好をしているときがいい。だいいちあの人は茶色が大嫌いなんだから」 レアはいじらしいな~・

全体を通して、レアは年齢的にちょっと太り始めたのを気にしているらしい記述がたくさん出てきます。世紀末の美人写真などをいろいろ見比べると、当時の女性にはやせていることがステキという価値観は薄かったようで、グラマーな女らしい美人が多いのです。
レアの職業のココットの生活というのも、当時の伝説的ココット、リアーヌ・ド・プージィの伝記から予想するに、毎日毎日レストランでお食事して社交に顔を出し、それもこってりしたフランス料理なわけで、かなり高カロリーな暮らしぶりであることが予想できます。
しかも当時は女性がやせるためにダイエットしたり、スポーツしたりするというのは、なかったわけで、年配になるとどんな美女もおそらく現代の女性よりは早めにぽっちゃりしてきたり二重顎になったりしたのでしょうね。

そういうちょっとぽっちゃりした体型をシャープで粋に、女性らしく見せるためにレアはおしゃれに気を使っていたのが随所からうかがえて、こういうのはコレットが女流作家だからこそ細かく描ける部分なのか、と思うのです。
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# by mimitan52 | 2008-08-15 13:07 | 「シェリ」を細かく。

どんな景色であったのかと。

懸賞 2008年 08月 13日 懸賞

いろいろパリ世紀末について読書していると、登場人物の歩いた街角の景色はどんなだったのかと、タイムスリップしてみてみたいという気持ちにさせられるのです。
もちろん当時写真というのはありましたが、当時の写真はモノクロの上で空気まではイメージしにくいもの、そんな中、実際こんな感じだったのかな、と映画のシーンを見るようにリアルに感じさせてくれるのが、カイユボットの絵画です。

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1877年に描かれたとは思えない、なんとも斬新な構図です、
ある種、写真のようなスーパーリアリズムのような感じを与えてくれる絵だと思うのですよね。
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同時代の小説や絵画を並べてみるというのは、なんとも面白いですね。

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# by mimitan52 | 2008-08-13 19:42 | なんとなく

芥川龍之介

懸賞 2008年 08月 08日 懸賞

手袋



あなたはけふは鼠いろの

羊の皮の手袋をしてゐますね、

いつもほつそりとしなつた手に。

わたしはあなたの手袋の上に

針のやうに尖つた峯を見ました。

その峯は何かわたしの額(ひたひ)に

きらきらする雪(ゆき)を感じさせるのです。

どうか手袋をとらずに下さい。

わたしはここに腰かけたまま

ぢつとひとり感じてゐたいのです、

まつ直に天を指してゐる雪(ゆき)を。



以前どこかの本で読んで覚えていた詩を幸運にもネット上で見つけることができました。
この詩は、いつも私に手のエレガンスを感じさせてくれる作品です。、
ねずみ色の手袋をが、本体の女性以上に見るものの想像力をかきたててしまう、それがひいてはその女性への賞賛に変わる一歩手前の、手袋をまずじっと見つめていたいと思う一瞬なのでしょうか。

女性のパーツをこういうふうに心をこめて鑑賞してくれる男性というのは、どのくらいいるのでしょうね。やはり芥川龍之介のような芸術家ゆえの女性への接し方なのでしょうか。
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# by mimitan52 | 2008-08-08 13:14 | 読書関係

何度も読みかえしてしまうラスト

懸賞 2008年 08月 08日 懸賞

「シェリの最後」のラスト数ページは、本が目につくと、つい手にとって何回も繰り返して読んでしまい、読むたびにうっとりと、しかも悲しくなって涙がほんとに出そうになるのですよね。
もし私が画家だったら、この数ページに現れる部屋や壁に貼られた写真、シェリ本人、テーブルの上の品々を絵にしたいくらいです、そのくらい読むごとに情景にさまざまなイメージがわいて、部屋のすみずみまでもっともっと微細に見たいという気持ちになってくるのです。

なぜここまで心惹かれてしまうのか、手元にある岩波文庫の「シェリの最後」を参照しながら、考えてみないと。

この感動的なラストの予兆は小説中盤、シェリが偶然再会した昔の友人(レアの友人)コピーヌが持っているレアからもらったハンドバッグに目を留めるあたりから始まっている。
ハンドバッグについているレアの頭文字を見つけて
「彼は一瞬心地よい休息、目的地についた安堵のようなものを味わった」

んー、なんかせつないのですよね、シェリは戦争を超えて、すっかり様子の変わったレアに再会した後なのですから。レアはすっかり別人のようになってしまいましたが、ハンドバッグ(それはボロボロになってはいるけど、レアがおしゃれなココットだったころにドレスを着て、持っていた小ぶりで美しい品だっのでしょう)をきっかけにシェリはレアと過ごした時間を見出したような気持ちになったわけです。
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このあたりから、シェリは失われたレアへの郷愁というか、執着心にとらわれてしまうわけで。
悲しいのはレアは死んだわけでもなんでもなく、ただ戦争を超えて、ココットだった時代と別人のようになったとはいえ、おそらくそれなりに幸せにいるというのに、シェリとはもう愛し合うことのできる女性ではなくなっており、シェリの心はもういない過去のレアにだけ占められているという点なのです。

思うに、シェリの抱いているレアへの執着心は、女性への愛ではなく、自分本人の過ごした青春、その青春の背景にあった美しい時代へ向けられているのでしょう。シェリは前作「シェリ」の
中では自分を守ってくれたレアの愛を理解も感謝もたいしてしていない様子だけど、それらがまったくなくなって、時代も変わり、一人になったとき、もう戻らないものが無性に懐かしくなってしまったのですね(ああ、悲しい;)

こういう場合、(男なら男らしく)前向きに転身してはどうか?と考えるむきもあるかもしれないけど、シェリは30歳の男子としてはあまりにも弱くなさけないと思うかもしれないけど。このいじらしいところが、シェリならではというところなんですから、しょうがないですね。

ラ・コピーヌの部屋でレアの昔の話を聞きたがるシェリはいじらしくも、かなしい。
話のディテールをこまごまと要求して、
「彼はこうして記憶のなかに日付け、色彩、布地の種類、場所、要塞店などをしまいこんでいった。」
失われた恋人と時代の再構築です。
そしてレアのとっくに終わった恋愛アフェアに嫉妬してみたり。

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「こうして彼は10月の最後の日々まで平和な勤め人のような生活にを送りながら絶望に耐えていた。」

でもラ・コピーヌが留守にしなければならなくなり、絶望に耐えるために必要だったレアについての昔話を聞けない日々がきてしまうのでした;
コレットはシェリが聞かせてもらわずにはいられない昔話を注射にたとえていますが、ほんとにシェリの命を維持するには、レアの幻影が必要だったのでしょう。
ほんとにこのラストのあたりのシェリは悲しすぎます。

「あの人がほしい、どうしても要るんだ、すぐにだよ、って。そうなったらボク、どうすりゃいいんだ」
彼は写真でいっぱいの壁の下に寝椅子をおしていってそこに寝そべった。こうして横になっていると、目をふせているレアの写真は、彼のことを気にかけているよういに見えた。」

シェリは周囲から見れば、財産もあり、自分はまだ若く美しく、さらに有能で美人の妻もいて、なにひとつ不幸になる理由などないはずなのに、ただ一つ、新しい時代になじめないということでこんなに苦しんでしまうわけです。もし彼がその気になれば、新しい愛や生き方と見つけることもできたでしょうに。コレットは前作「シェリ」ではレアを捨てて妻との新生活にもどっていくシェリに深呼吸させ、自由のよろこびを感じさせていたのに、結局のところシェリはレアと過ごした時代にだけ郷愁と愛を持っているのでした。
こういうシェリの物語に心惹かれてなんども読み直してしまうのは、やはり私自身のなかに、失ってもう取り戻せないものへの渇望があるからなのでしょうか?

こういうシェリの生活と死について、もし道徳的に判断するならば、「ダメな男」ということになるんでしょうど、この小説は別に立派な生き方を指導するためのものではいのですから、いいのです。注意深く読めば読むほど、隅々までいきわたったコレットの女性らしい観察力、それを言葉で表す文章のすばらしさ、ことの顛末が与える詩情に何度でも感動してしまう作品だと思います。
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# by mimitan52 | 2008-08-08 08:56 | 「シェリの最後」を細かく。

肉体の悪魔

懸賞 2008年 08月 06日 懸賞

コレットの作品をいろいろ読んでいるうちに、以前読んでまったく面白くないと思ったラディゲの
「肉体の悪魔」を見直してみたくなりました。
コレットの生まれたのは1873年、ラディゲは1903年(年の差30歳か。)
ちょうどレアとシェリの年齢差くらいかな、
「肉体の悪魔」は1923年、コレットの「シェリ」「シェリの最後」が書かれたのは1920年、1926年、(ちなみにヘッセの「デミアン」が1919年。(第一次大戦が1914-1918年。)
だいたい同時代の作品なんですね、私の気に入ってる小説類。

「肉体の悪魔」を読み終えてあらため、このような少年というか青年と恋愛してうっかり死んだりするマルトというヒロインは女性として、ほんとに不幸だなと思いました。
主人公の男の子の気持ちの動きというのが、事細かに描かれていて、その細かさ、まさにチェスのこまを一つずつ動かしていく手順のごとく、何か一つ一つの行動にも理由付けがあるような
いったいこの主人公にとって女を愛するということが何なのか、という疑問がわいてくるのですね。(まあ、ようするにすごい冷徹な印象の少年ということかな)

もちろん少年も怜悧なばかりではなく、うろたえたり泣いたり、感情丸出しになる場合もあるわけですが、なんというか、愛する女性のための自己犠牲というようなものは、まったく感じられず
ただ恋愛アフェアという筋書きを維持するためにマルトという女を持っているような感じがするのです。こういう身勝手な愛のようなもの、をここまで忠実に描いているというところに、やはりラディゲの天才ぶりというのがあるのでしょう。

普通だったらなにか感動的な部分、この主人公もなかなかいい奴だ、と思わせてしまうような部分をつけ加えたくなるかもしれないところを、この少年は女にとってはまったく害としかいえないような人物ぶりが首尾一貫しているところが面白いといえば、面白いです。
同じ女性の立場から、マルトの気持ちを想像してみても、いったいどうしてマルトがこの少年にここまで振り回されてしまったのか、こちらもホントに愛しているというほどの愛ではなかったのではないか、と疑ってしまうのです。

マルトは恋愛を経過しないで、夫になる軍人さんと婚約していたわけで、もともと彼と趣味があうわけでもなく、時代の雰囲気からして単にお年頃ということで結婚する段取りになっていたのでしょう。そこに主人公の少年、読書の趣味などで話の合いそうな彼が出現したわけで。
婚約者は優しく丁寧に彼女を扱っていたのにたいし(まあ、ほんとに愛していたのでしょう)一方の主人公少年は子供ならではの暴君ぶりでマルトを支配しようとし、マルトは自分をいつくしんでくれる人よりも、支配しようとする主人公を愛していると思ってしまったわけです。

こういう女性の心理というのは、ありそうなことですね。

コレットの作品のシェリが第一次大戦後に殺伐としてしまった人々の間で一人、ベルエポックの幻影を抱いたまま苦しむのに対して、ラディゲの「肉体の悪魔」の主人公は殺伐とした時代の先端をいく青年といえるのかな。シェリは「シェリの最後」で、レアの若く美しかった頃の写真にかこまれて自殺してしまうけど、ラディゲの青年は大戦後の世界をそこそこ無感動になんとなく生き延びていけそうな気がします。

ちなみにこの主人公は推定1902年生まれ、シェリは推定1890年代の終わり頃生まれかな、
シェリという人物もレアに比べると十分ドライでちゃっかりしたイメージのナルシスト青年ですが、ラディゲの年代の青年に比べるとやはりかなりいじらしく、感傷的なので、私はシェリのほうが大好きです。



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コレットとラディゲは同時代のパリに存在していたわけですが、知り合いになるということはまったくなかったのだろうか?と気になるところです
ラディゲは1923年、20歳で死んでしまいました。この時,コレットは50歳ですでに超有名人であったわけで、同じ環境にいながらもすれちがうこともなかったのかな。

もしコレットのような女性が若きラディゲにであっていたら、彼の精神がもう一皮むけて花開くような出会いになったんじゃないか、と想像してしまいます。

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ところで「肉体の悪魔」の中でとても印象的な場面、エピソードがあります。
それは主人公の子供時代にすんでいた町の市会議員の屋根にその家のお手伝いが頭がおかしくなって昇ってしまい、警官や野次馬が集まって大騒ぎになったあげく、最後には屋根から飛び降りて死んでしまう、というエピソードです。

このエピソードのつづられている部分の最後の一文。
「ボクがこんな話を長々としたのは、他の何よりもこの出来事が戦争という奇妙な時期のことをよく理解させてくれるからだ、同時にこの出来事は、ボクが見た目の面白さより、ものごとの発する詩情のほうにどれほど魅了されていたかも示している。」

とても共感できる見解です。(このエピソードは事実ラディゲの子供時代におきたことらしいです)
「肉体の悪魔」には同じような挿話として、ブランコで遊んでいた恋人達の女性のほうが、大きく揺らしすぎたブランコから転落して死ぬ、というエピソードがあります。

両方とも、悲しい事件であり事実でありながらも、なぜか人を一瞬魅了するような妙な美しさを含んでいる点で共通するエピソードといえるでしょう、このとき感じる美しさというのは、道徳性とか悲しみとかの価値をこえて、たとえば一枚の絵や詩を見たとき、直接心に訴えてくるようなものといえるのではないでしょうか。
(こういうものは誰の人生にもあると思いますが)
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# by mimitan52 | 2008-08-06 17:23 | 読書関係

ひさびさの猫写真

懸賞 2008年 08月 05日 懸賞

ペットのミーミーちゃん、ますます太って大きくなってきました。
夏は暑そうでたいへんです、私の猫好きには家族もあきれるくらいで、ほんとに猫になにかあったらどうしよう~と真剣に思う日もあるくらい。
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上の写真、ベッドで枕に頭をのっけて、人間みたいに眠っているところです、
なんだか猫というより狐か狸のようになってきたなー。
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# by mimitan52 | 2008-08-05 23:16 | 日記

レアの身体についての印象的記述

懸賞 2008年 08月 05日 懸賞

シェリがレアのを呼ぶときの「ヌヌーン」っていう名前はどういう由来なんでしょうね、すごい気になります。調べてみると、「ママーン」というようなことらしい、ほんとのお母さんはちゃんといるのに愛人のレアにママ~と甘えているシェリなんですね。
私がレアについての描写でもっとも気に入っている部分は、「シェリ」後半のレアがお風呂にはいっている場面、

{肩と乳房をお湯からつき出しー逞しいからだに水を滴らせながらすばらしい腕をさしのべて、噴水を飾る彫像そっくりの姿で彼女はぬれたカードを指の先でふっていた。}

この一文から想像される、大理石のニンフのような身体、それが私のレアのイメージです。

最後のほうでシェリがレアに会いにくる場面にいいなー。
{「大好きなヌヌーン」そうして彼は、身体ごと彼女にぶつかってきてそのすらりとした脚をきつく抱きしめたので、レアの膝がしなった。」}

このすらりとした脚、レアのチャームポイントなのでしょう。
「シェリの最後」でシェリが繰り返し見つめる写真のなかのレアは
ー青い目、笑っている口、束ねて巻き上げたブロンドの髪。おだやかな勝ち誇った態度、第一帝政時代の胴着をきた、高い背丈。薄い布の下に見える脚、腿のところがふくらみ、膝のところがほっそりとして、すらりと伸びている脚、、、

雲の上を歩く女神のような姿、だとレアの友人(?)のコピーヌは言っています。

実際こういう肉体美を強調するようなポートレイトというのが19世紀末から20世紀にかけて出回っていたのかと疑問に思いましたが、意外にも当時パリで有名だった女性たちの肖像写真は
エロチックというか、蠱惑的なものがおおく、おそらくレアにココットの一人として、こういう美人フォトを数々撮影させていたのでしょう。

もし私がこの作品を映画にする機会があったとして、現代の女優でレアの役にぴったりな人というのがどうも思いつかないのです。
というのも、やせている女ではだめなんではないかと思うので。
印象派の絵画の中にレアの面影をもとめて、いろんな画集を眺めなおしてしまうのでした。
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# by mimitan52 | 2008-08-05 19:12 | 読書関係